猫はアルファでありオメガである

くだらないこも書いてます

マスオさんの辛いところ

マスオさん状態でいる僕が一番辛い事。それは、妻の家で行われる奇習に参加しなければいけない事だ。
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僕は妻の実家に居候している。いわゆるマスオさん状態だ。そんな妻の家では、休みの日に掃除をするという奇習がある。その日家にいる人全員で、仲良く掃除をするのだ。今日は僕と妻、それからお母さんというメンバーで、玄関を掃除する事になっている。いらない靴と傘を捨て、玄関を少し使いやすする工夫をするらしい。全くもってつまらない。
なぜ、休みの日に掃除をしなければいけないのか。せっかくの休みの日。朝から晩まで自由に使えるのだ。僕にはたくさんやりたいことがある。自分の勉強を進め、録り貯めたアニメを見て、本を読んで、寝て、どっかでお茶を飲みたい。そしてそれらと矛盾するようだが、なにもしたくない。こんな気持ちいい晴れた日は、ぼんやり何もせずしていたい。そっちの方が、掃除をするよりずっと楽しいだろう。それなのに彼女らは、僕まで駆り出して掃除に勤しむ。
それでも最初の頃は、抵抗していた。「今週は○○を掃除するから手伝ってね」という妻に対して、掃除をしなければいけない理由を説明するように何度も求めた。その説明がないから、「僕には掃除をする意味がわからない」と伝え、ベッドに引きこもって本を読んでやりすごしていた。しかし、掃除をする妻を横目にダラダラするのは難しい。意地を張って掃除をせず、自分のやりたいことをする僕。なんだか自分が駄々をこねた子供のように見えてきて、居心地が悪い。だから僕は仕方なく、それに加わった。奇習を共にこなすことで、家族になったのかもしれない。
今、妻とその母が玄関を綺麗にして、さらに予定外の車庫掃除を始めようとしている。僕はそれを眺めながら、ブログを書いている。車庫掃除についての仕事を与えられないように存在感を消して、隅でスマホを弄っているのだ。
世の中には、僕には理解できないことがたくさんある。僕は自分が約束の時間に遅れるのも、人が遅れてやって来るのも気にしない。でも、時間についてやたら煩い人もいる。
前職は編集者として、僕は働いていた。その時の編集長は「休みの日に休みたいなんて甘い」とか言っちゃう痛い人だった。働くために生きるという、昭和の遺物だったのだのだ。そんな彼からしたら、「仕事は適当でいい」、「休みの日は絶対に仕事はしない」という僕の考えは理解不能だっただろう。
分からないことがあることは、幸せだと思う。それを理解しようと努力するのも好きだ。ただ、それに加わるかどうかということに関しては、そんなに単純な話ではないのだろう。来週からの出張が少し楽しみになった。